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## Tour
### Description
### Title
tour.name = 『DŌ(道)- 金澤翔子の道』展
## Skin
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DropDown_0561BA16_3AA3_A1D2_41C7_FDA0B6E9EE29.label = パノラマ写真一覧
DropDown_0561BA16_3AA3_A1D2_41C7_FDA0B6E9EE29_mobile.label = パノラマ写真一覧
### Multiline Text
HTMLText_210E69FB_152F_9C00_419E_A24E24CB316F.html =
紙について
書道用の紙は、墨の水分に耐えられるように、植物の長めの繊維を使って作られます。
材料になる植物を何度も煮て、柔らかくなったものを更に叩いて繊維をほぐし、最後はトロロアオイなどが原料の糊を混ぜてドロドロにします。これを水槽に入れて均等に薄め、専用のスダレで溶け込んでいる繊維を薄く絡ませながらすくい上げます。この作業を「漉き(すき)」といいます。こうして漉きあがったものを乾燥させ、適当な大きさに裁断したものが書道用紙となります。水墨画で使われるものなども全く同じ工程で作られます。西洋発祥の紙と比べ、大変丈夫で長持ちする性質があります。
この紙は、原材料の種類や配分などでそれぞれの特徴が出て、書画用とか工芸用などと使い分けられています。また厚さによっても性質に違いが出てくるので、書道用の紙といっても大変種類が多くなっています。
その中で、日本産のものを「和紙(わし)」と呼びます。書道用のものでは、山梨県の「甲州(こうしゅう)和紙」、山陰地方の「石州(せきしゅう)和紙」「因州(いんしゅう)和紙」、愛媛県の「四国和紙(伊予和紙)」が有名です。楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)といった草木が原料として使われます。漢字用、かな用によって適した紙質があり、また最終的ににじまないように加工したり、模様を漉き込んだりしたものもあります。
和紙の中には、その丈夫さを利用して、紙幣用、賞状用など特別な用途に漉かれたものもあります。また障子や高級包み紙、その他工芸用に作られるものもあります。
書家の作風やその時の表現意図によって、一番合っている紙が選択されます。
HTMLText_210E69FB_152F_9C00_419E_A24E24CB316F_mobile.html = 紙について
書道用の紙は、墨の水分に耐えられるように、植物の長めの繊維を使って作られます。
材料になる植物を何度も煮て、柔らかくなったものを更に叩いて繊維をほぐし、最後はトロロアオイなどが原料の糊を混ぜてドロドロにします。これを水槽に入れて均等に薄め、専用のスダレで溶け込んでいる繊維を薄く絡ませながらすくい上げます。この作業を「漉き(すき)」といいます。こうして漉きあがったものを乾燥させ、適当な大きさに裁断したものが書道用紙となります。水墨画で使われるものなども全く同じ工程で作られます。西洋発祥の紙と比べ、大変丈夫で長持ちする性質があります。
この紙は、原材料の種類や配分などでそれぞれの特徴が出て、書画用とか工芸用などと使い分けられています。また厚さによっても性質に違いが出てくるので、書道用の紙といっても大変種類が多くなっています。
その中で、日本産のものを「和紙(わし)」と呼びます。書道用のものでは、山梨県の「甲州(こうしゅう)和紙」、山陰地方の「石州(せきしゅう)和紙」「因州(いんしゅう)和紙」、愛媛県の「四国和紙(伊予和紙)」が有名です。楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)といった草木が原料として使われます。漢字用、かな用によって適した紙質があり、また最終的ににじまないように加工したり、模様を漉き込んだりしたものもあります。
和紙の中には、その丈夫さを利用して、紙幣用、賞状用など特別な用途に漉かれたものもあります。また障子や高級包み紙、その他工芸用に作られるものもあります。
書家の作風やその時の表現意図によって、一番合っている紙が選択されます。
HTMLText_2130CD0F_1525_900E_41AB_B6CE02889B44.html = 硯について
硯は墨と水を混ぜる台となる道具です。古くは陶製のものもありましたが、今では主に石を磨いて作ります。
硯は、実際に墨を磨る「墨道(ぼくどう 丘ともいう)」部分と、それより深く掘った墨をためる「墨池(ぼくち 海ともいう)」の部分からなります。墨道の表面には非常に細かい歯のようなギザギザの「鋒鋩(ほうぼう)」があり、それがヤスリのような役目をして墨を磨り下ろすことが出来るのです。
この鋒鋩の強さやきめの細かさ、そして石自体の美しさやそれを彫刻で飾る職人の技によって、硯の価値は決まってきます。実用的な硯を「実用硯(じつようけん)」、鑑賞に値する美術的な硯を「鑑賞硯(かんしょうけん)」と言います。
日本では、山梨県の「雨畑硯(あまはたすずり)」、宮城県の「雄勝硯(おがつすずり)」、山口県の「赤間硯(あかますずり)」などがありますが、品質が高く人気のあるのは中国のものです。
なかでも「端渓硯(たんけいけん)」「歙州硯(きゅうしゅうけん)」「澄泥硯(ちょうでいけん)」などは圧倒的な人気があります。澄泥硯は産地ではなく硯の色合いから名前が付けられています。また、同じ産地でも、石が掘られた年代によって品質が違っています。
硯は長く使っていると、だんだん鋒鋩がすり減って、つるつるしたりキラキラ光ったりします。こうなると墨が良く磨れませんから、硯用の砥石か水ペーパーでその面を静かに磨く手入れをすると、働きが元に戻ります。
実際に使う時は、書く字によって硯の大きさを変えます。また墨と石との相性もあるので、一般的に書家は複数の硯を持っています。
また観賞硯は、それ自体が美術品として扱われています。
HTMLText_2130CD0F_1525_900E_41AB_B6CE02889B44_mobile.html = 硯について
硯は墨と水を混ぜる台となる道具です。古くは陶製のものもありましたが、今では主に石を磨いて作ります。
硯は、実際に墨を磨る「墨道(ぼくどう 丘ともいう)」部分と、それより深く掘った墨をためる「墨池(ぼくち 海ともいう)」の部分からなります。墨道の表面には非常に細かい歯のようなギザギザの「鋒鋩(ほうぼう)」があり、それがヤスリのような役目をして墨を磨り下ろすことが出来るのです。
この鋒鋩の強さやきめの細かさ、そして石自体の美しさやそれを彫刻で飾る職人の技によって、硯の価値は決まってきます。実用的な硯を「実用硯(じつようけん)」、鑑賞に値する美術的な硯を「鑑賞硯(かんしょうけん)」と言います。
日本では、山梨県の「雨畑硯(あまはたすずり)」、宮城県の「雄勝硯(おがつすずり)」、山口県の「赤間硯(あかますずり)」などがありますが、品質が高く人気のあるのは中国のものです。
なかでも「端渓硯(たんけいけん)」「歙州硯(きゅうしゅうけん)」「澄泥硯(ちょうでいけん)」などは圧倒的な人気があります。澄泥硯は産地ではなく硯の色合いから名前が付けられています。また、同じ産地でも、石が掘られた年代によって品質が違っています。
硯は長く使っていると、だんだん鋒鋩がすり減って、つるつるしたりキラキラ光ったりします。こうなると墨が良く磨れませんから、硯用の砥石か水ペーパーでその面を静かに磨く手入れをすると、働きが元に戻ります。
実際に使う時は、書く字によって硯の大きさを変えます。また墨と石との相性もあるので、一般的に書家は複数の硯を持っています。
また観賞硯は、それ自体が美術品として扱われています。
HTMLText_21D910AC_1524_B032_41B4_252125332C97.html = 墨について
墨は、いわば東洋独特の「インク」です。筆・紙という用具に、硯という工具がなければ成り立たなかったものです。
中国では、紀元前220年ごろ作られたとされていますが、実際はもっと昔から顔料(鉱物が材料の絵の具)の一つとして用いられたようです。日本には朝鮮半島を経由して、推古18(610)年、高句麗(こうくり 朝鮮半島の一国)の僧侶・曇徴(どんちょう)が伝えたと『日本書紀』にあります。
中国での墨は元の時代(1271~1368)までは赤松の煤が原料の「松煙墨(しょうえんぼく)」でしたが、明の時代(1368~1644)になって植物油の煤が原料の「油煙墨(ゆえんぼく)」が大量に作られるようになりました。
墨の原料は「煤(すす)」と「膠(にかわ)」と「香料」の三つです。煤と水は混じり合わないので、膠を煤と混ぜ、その膠の臭さを消すために香料を入れて一旦固形にします。そうして出来た墨の中の煤は、膠の接着力で水と混ざり合うようになるのです。
「膠」はタンパク質の一種で、コラーゲンを含むゼラチンを主な成分とする接着剤の一種です。牛や鹿の骨や皮、亀の甲羅などから取っていましたが、最近では他の動物性タンパク質や、化学合成した膠も使用しています。タンパク質が素ですので、非常に腐りやすく臭みがあります。その臭みを消すのが香料です。龍脳(りゅうのう)・白檀(びゃくだん)・丁子(ちょうじ)・麝香(じゃこう)などを使います。これらの香料には心を落ち着かせるという作用もあります。墨は見た目には黒一色ですが、煤の取り方でわずかながら、青・紫・赤・茶などの色合いを含んでいます。
実際に墨を使用するには、硯の上で水に溶け込むように磨りおろして液体状のインクにします。ちなみに唐墨(とうぼく 中国の墨)は硬水で、和墨(わぼく 日本の墨)は軟水で磨ると良いとされます。
近年では、最初から液体状になった墨が多く作られるようになりました。かなり改良されていますが、固形墨の微妙で奥深い色合いは出せないようです。
日本の墨の産地は、京都・奈良といった昔からの都市が多いのですが、鈴鹿(三重県)のように都で働いた職人が地方に技術を持ち帰って盛んになった所もあります。
HTMLText_21D910AC_1524_B032_41B4_252125332C97_mobile.html = 墨について
墨は、いわば東洋独特の「インク」です。筆・紙という用具に、硯という工具がなければ成り立たなかったものです。
中国では、紀元前220年ごろ作られたとされていますが、実際はもっと昔から顔料(鉱物が材料の絵の具)の一つとして用いられたようです。日本には朝鮮半島を経由して、推古18(610)年、高句麗(こうくり 朝鮮半島の一国)の僧侶・曇徴(どんちょう)が伝えたと『日本書紀』にあります。
中国での墨は元の時代(1271~1368)までは赤松の煤が原料の「松煙墨(しょうえんぼく)」でしたが、明の時代(1368~1644)になって植物油の煤が原料の「油煙墨(ゆえんぼく)」が大量に作られるようになりました。
墨の原料は「煤(すす)」と「膠(にかわ)」と「香料」の三つです。煤と水は混じり合わないので、膠を煤と混ぜ、その膠の臭さを消すために香料を入れて一旦固形にします。そうして出来た墨の中の煤は、膠の接着力で水と混ざり合うようになるのです。
「膠」はタンパク質の一種で、コラーゲンを含むゼラチンを主な成分とする接着剤の一種です。牛や鹿の骨や皮、亀の甲羅などから取っていましたが、最近では他の動物性タンパク質や、化学合成した膠も使用しています。タンパク質が素ですので、非常に腐りやすく臭みがあります。その臭みを消すのが香料です。龍脳(りゅうのう)・白檀(びゃくだん)・丁子(ちょうじ)・麝香(じゃこう)などを使います。これらの香料には心を落ち着かせるという作用もあります。墨は見た目には黒一色ですが、煤の取り方でわずかながら、青・紫・赤・茶などの色合いを含んでいます。
実際に墨を使用するには、硯の上で水に溶け込むように磨りおろして液体状のインクにします。ちなみに唐墨(とうぼく 中国の墨)は硬水で、和墨(わぼく 日本の墨)は軟水で磨ると良いとされます。
近年では、最初から液体状になった墨が多く作られるようになりました。かなり改良されていますが、固形墨の微妙で奥深い色合いは出せないようです。
日本の墨の産地は、京都・奈良といった昔からの都市が多いのですが、鈴鹿(三重県)のように都で働いた職人が地方に技術を持ち帰って盛んになった所もあります。
HTMLText_26F01674_1565_9012_4173_23724678342E.html = 筆について
筆は、書体が変わることで、その姿を変えてきました。
中国では、古代から「筆」のようなものはありましたが、秦の始皇帝(BC259~210)が文字の統一をし、木簡や竹簡(幅が狭く薄い木や竹の板)に「篆書」で情報をやりとりしたことで、大きく形が変わりました。ただ現代の筆とは違い、竹や木の軸の先を割り、そこにウサギの毛などを差し込んで作りました。これを「兎筆(とひつ)」といいます。ウサギの毛は硬いので、小さな字で硬い材料のものに書くのに適していました。
これが3世紀の初めごろになると、篆書や次の時代の隷書の書体から、楷書・行書・草書といった書体に変わってきました。字も紙に書くようになり、今に近い筆の形になりました。そのころは、今よりも穂(筆の毛の部分)は短いものでした。「雀頭筆(じゃくとうひつ)」はその代表的なものです。
5世紀から7世紀になると、行書や草書体が発達し、これを書くのに適した柔らかい素材の毛が使われるようになりました。特に「鼠鬚(そしゅ)」というネズミのヒゲが使われたりしました。
日本では、一般に空海(AD774~835)が筆を伝えたとされていますが、実際はそれ以前からも筆は使われていました。平安時代(8世紀末~12世紀末)になると草書が変化して「かな」が生まれ、その字体が書きやすいように筆の穂が長くなったものが生まれてきました。「和様筆(わようひつ)」と呼ばれ、身分の高い人々や僧侶などに使われました。
そして近代では、実用的には「硬筆(こうひつ)」と呼ばれる、ペンや鉛筆が使われるようになっています。
書が実用のものから芸術に変わってくると、表現力を生み出しやすい材質が使われるようになりました。羊、馬、イタチ、タヌキ、鹿など多くの獣の毛が材料となり、多種多様な筆が生産されています。
指で持つ部分は「筆管」「筆軸」などといいます。原料は細竹のものが多いのですが、木製のものもあります。最近ではプラスチックや合成樹脂のものも多くなりました、
日本の主な筆の産地は、広島・奈良・豊橋・東京・新潟・仙台など全国にありますが、現代では作り手がだんだん少なくなっています。
HTMLText_26F01674_1565_9012_4173_23724678342E_mobile.html = 筆について
筆は、書体が変わることで、その姿を変えてきました。
中国では、古代から「筆」のようなものはありましたが、秦の始皇帝(BC259~210)が文字の統一をし、木簡や竹簡(幅が狭く薄い木や竹の板)に「篆書」で情報をやりとりしたことで、大きく形が変わりました。ただ現代の筆とは違い、竹や木の軸の先を割り、そこにウサギの毛などを差し込んで作りました。これを「兎筆(とひつ)」といいます。ウサギの毛は硬いので、小さな字で硬い材料のものに書くのに適していました。
これが3世紀の初めごろになると、篆書や次の時代の隷書の書体から、楷書・行書・草書といった書体に変わってきました。字も紙に書くようになり、今に近い筆の形になりました。そのころは、今よりも穂(筆の毛の部分)は短いものでした。「雀頭筆(じゃくとうひつ)」はその代表的なものです。
5世紀から7世紀になると、行書や草書体が発達し、これを書くのに適した柔らかい素材の毛が使われるようになりました。特に「鼠鬚(そしゅ)」というネズミのヒゲが使われたりしました。
日本では、一般に空海(AD774~835)が筆を伝えたとされていますが、実際はそれ以前からも筆は使われていました。平安時代(8世紀末~12世紀末)になると草書が変化して「かな」が生まれ、その字体が書きやすいように筆の穂が長くなったものが生まれてきました。「和様筆(わようひつ)」と呼ばれ、身分の高い人々や僧侶などに使われました。
そして近代では、実用的には「硬筆(こうひつ)」と呼ばれる、ペンや鉛筆が使われるようになっています。
書が実用のものから芸術に変わってくると、表現力を生み出しやすい材質が使われるようになりました。羊、馬、イタチ、タヌキ、鹿など多くの獣の毛が材料となり、多種多様な筆が生産されています。
指で持つ部分は「筆管」「筆軸」などといいます。原料は細竹のものが多いのですが、木製のものもあります。最近ではプラスチックや合成樹脂のものも多くなりました、
日本の主な筆の産地は、広島・奈良・豊橋・東京・新潟・仙台など全国にありますが、現代では作り手がだんだん少なくなっています。
HTMLText_64B703F4_0E09_C4C5_41AA_AABEA5FD022B.html = 道
ジャパン・ハウス サンパウロ(JHSP)では2018年、「道」(ポルトガル語でCaminho)の概念を構成する慣行や、しきたりに特化した展示シリーズの第一弾を紹介した。道とは、一定の芸術活動や表現方法を通じて精神の向上を追求することである。『DŌ (道) ― 徳の極みへ』では、武道を構成する格闘技を写真やデモンストレーションで紹介した。
2019年には『DŌ (道) ― 平静の極みへ』で華道を紹介し、そしていよいよ2021年には、『DŌ (道)-金澤翔子の道』 で書道を紹介することになった。
その芸道には心身の鍛錬に必要な献身、根気、厳格さ、および規律の重要性を表現しているが、伝統と現代の調和も謳っている。この調和は日本文化の主な要素であり、JHSPのプログラムでも重視している。
墨と筆を使って漢字の美を表す芸道は書道と言われる。
書道が日本に伝わったのは6世紀頃であり、当時は貴族教育の一環として、しきたりや儀式が含まれていた。書道には個性を表現するとされ、それぞれの書家の創造力に依るところが大きい。また作品の全ての要素が重要であり、例えば偶然引かれた線やはねた墨、さらには何も書かれていない空間さえ意味をなす。
本展では、現代書家の代表でもある金澤翔子を、力強さと繊細さが両立する芸術家として紹介する。ダウン症を持つ彼女は書道を通じて表現し、身体全体を激しく、そして静かに動かすパフォーマンスで自らの声を届ける。金澤氏の書には、感性の豊かさに加え繊細さと前向きなメッセージが含まれている。
今回展示される11作品では、精神や哲学など人類にとって普遍的なテーマを扱っている。「言霊」という表現は書道が持つ力を表すのではないだろうか。不注意な「言葉」の扱いが珍しくない近年において、「言葉」と正しく向き合う意識と姿勢は時代の要請であると思われる。
各作品には、金澤翔子氏のお母様であり書道の教師でもある金澤泰子氏の解説を添えた。愛情豊かな文章には、書道への情熱を共有し、誰よりも深く知る一人娘への言葉が綴られており、その人柄や、歩んできた道のりが読み取れる。
作品以外にも、書道で使用する道具も展示されている。また、書道一筋の道を何世代にも亘り繋いできた書家の柳田泰山氏の説明文章を紹介している。
己を磨く道は、一生続く旅なのかもしれない。書道とは、単に技術を向上させるだけではなく、精神的な面も重要である。心身鍛錬への美しく険しい道であり、独特かつ個性的な作品に表現される身体への理解と、感情への追求である。
企画担当局長・キュレーター
ナターシャ・バルザーギ・ジーネン
HTMLText_64B703F4_0E09_C4C5_41AA_AABEA5FD022B_mobile.html = 道
ジャパン・ハウス サンパウロ(JHSP)では2018年、「道」(ポルトガル語でCaminho)の概念を構成する慣行や、しきたりに特化した展示シリーズの第一弾を紹介した。道とは、一定の芸術活動や表現方法を通じて精神の向上を追求することである。『DŌ (道) ― 徳の極みへ』では、武道を構成する格闘技を写真やデモンストレーションで紹介した。
2019年には『DŌ (道) ― 平静の極みへ』で華道を紹介し、そしていよいよ2021年には、『DŌ (道)-金澤翔子の道』 で書道を紹介することになった。
その芸道には心身の鍛錬に必要な献身、根気、厳格さ、および規律の重要性を表現しているが、伝統と現代の調和も謳っている。この調和は日本文化の主な要素であり、JHSPのプログラムでも重視している。
墨と筆を使って漢字の美を表す芸道は書道と言われる。
書道が日本に伝わったのは6世紀頃であり、当時は貴族教育の一環として、しきたりや儀式が含まれていた。書道には個性を表現するとされ、それぞれの書家の創造力に依るところが大きい。また作品の全ての要素が重要であり、例えば偶然引かれた線やはねた墨、さらには何も書かれていない空間さえ意味をなす。
本展では、現代書家の代表でもある金澤翔子を、力強さと繊細さが両立する芸術家として紹介する。ダウン症を持つ彼女は書道を通じて表現し、身体全体を激しく、そして静かに動かすパフォーマンスで自らの声を届ける。金澤氏の書には、感性の豊かさに加え繊細さと前向きなメッセージが含まれている。
今回展示される11作品では、精神や哲学など人類にとって普遍的なテーマを扱っている。「言霊」という表現は書道が持つ力を表すのではないだろうか。不注意な「言葉」の扱いが珍しくない近年において、「言葉」と正しく向き合う意識と姿勢は時代の要請であると思われる。
各作品には、金澤翔子氏のお母様であり書道の教師でもある金澤泰子氏の解説を添えた。愛情豊かな文章には、書道への情熱を共有し、誰よりも深く知る一人娘への言葉が綴られており、その人柄や、歩んできた道のりが読み取れる。
作品以外にも、書道で使用する道具も展示されている。また、書道一筋の道を何世代にも亘り繋いできた書家の柳田泰山氏の説明文章を紹介している。
己を磨く道は、一生続く旅なのかもしれない。書道とは、単に技術を向上させるだけではなく、精神的な面も重要である。心身鍛錬への美しく険しい道であり、独特かつ個性的な作品に表現される身体への理解と、感情への追求である。
企画担当局長・キュレーター
ナターシャ・バルザーギ・ジーネン
HTMLText_711050CA_0E3A_C4CD_418E_0C68E3D14B4B.html = 夢幻空華 - むげんくうげ
Mugenkuuge, 2019
本来、実在しない実態や自我をまるであるかのように執着し、誤って空中に幻想の花を見てしまうこと。「今日お祭で、お神輿を担いだの。でも背が小さいから届かなかった。楽しかったー」と幸せそうに言う。背が届かないのに何がそんなに楽しかったのだろ。どんなことも楽しく幸せにしてしまう翔子の魔法。背が届かなくて悲しいと嘆くこともできたでしょう。同じ出来事の中に、地獄を見る人と天国を見る人がいる。人は幻影の中で生きている。
HTMLText_711050CA_0E3A_C4CD_418E_0C68E3D14B4B_mobile.html = 夢幻空華 - むげんくうげ
Mugenkuuge, 2019
本来、実在しない実態や自我をまるであるかのように執着し、誤って空中に幻想の花を見てしまうこと。「今日お祭で、お神輿を担いだの。でも背が小さいから届かなかった。楽しかったー」と幸せそうに言う。背が届かないのに何がそんなに楽しかったのだろ。どんなことも楽しく幸せにしてしまう翔子の魔法。背が届かなくて悲しいと嘆くこともできたでしょう。同じ出来事の中に、地獄を見る人と天国を見る人がいる。人は幻影の中で生きている。
HTMLText_72985BE9_0E39_C4CF_418F_F8410678C9EC.html = 感謝 - かんしゃ
Kansha, 2019
人から受けた優しさや、贈り物や、すべての自然 - 空気や水、光などに「ありがとう」と言う心を持つこと。
東京2020オリンピックの「公式ポスター」の製作アーティストに選ばれた。世界中から選抜され、翔子は最年少。誕生した頃は、立派な何者かになれると思うこともなく、希望も願いさえなかった翔子に20歳から、天の恵みとしか思えないような重大な仕事が降り注いだ。そしてその全てが成功裡に終った。二人はただその神秘に感謝し、おののき祈るしか手立てはなかった。
HTMLText_72985BE9_0E39_C4CF_418F_F8410678C9EC_mobile.html = 感謝 - かんしゃ
Kansha, 2019
人から受けた優しさや、贈り物や、すべての自然 - 空気や水、光などに「ありがとう」と言う心を持つこと。
東京2020オリンピックの「公式ポスター」の製作アーティストに選ばれた。世界中から選抜され、翔子は最年少。誕生した頃は、立派な何者かになれると思うこともなく、希望も願いさえなかった翔子に20歳から、天の恵みとしか思えないような重大な仕事が降り注いだ。そしてその全てが成功裡に終った。二人はただその神秘に感謝し、おののき祈るしか手立てはなかった。
HTMLText_72AF033F_0E3A_4543_4153_F95B6692402B.html = 神 - かみ
Kami, 2019
万物を支配する不思議な力を持つ存在のこと
大きくなったら三日月になりたいと言っていた翔子は今、自ら光り輝くのではないけれど、太陽のような暖かい多くの人に照らされて、天空でほっこりと輝いている。遂に翔子は三日月になった。もし私が今何になりたい?と問われたら「名月」になりたい。高き夜空に清く佇む名月になり、三日月の翔子と二人で、障がい児をお持ちのお母様たちを遥かに照らしたい。
HTMLText_72AF033F_0E3A_4543_4153_F95B6692402B_mobile.html = 神 - かみ
Kami, 2019
万物を支配する不思議な力を持つ存在のこと
大きくなったら三日月になりたいと言っていた翔子は今、自ら光り輝くのではないけれど、太陽のような暖かい多くの人に照らされて、天空でほっこりと輝いている。遂に翔子は三日月になった。もし私が今何になりたい?と問われたら「名月」になりたい。高き夜空に清く佇む名月になり、三日月の翔子と二人で、障がい児をお持ちのお母様たちを遥かに照らしたい。
HTMLText_7303FAE0_0E3A_44FD_41A0_10CFEB9E47BC.html = 宇宙 - うちゅう
Uchū, 2019
この世に存在する全ての空間を指す。138億年前に誕生、半径465億光年の大きさ。
世俗に入れない翔子の魂は天空と溶け合っている。父を早急に亡くした翔子はどうしても彼を忘れられずに、ひときわ大きく光る星に手を振り、泣く。星は宇宙の物理的な法則で出来るのではなく、どうしても忘れられない地上の人たちの想いで出来のでしょう。天空にはその忘れられない魂の数だけ星があるのです。
HTMLText_7303FAE0_0E3A_44FD_41A0_10CFEB9E47BC_mobile.html = 宇宙 - うちゅう
Uchū, 2019
この世に存在する全ての空間を指す。138億年前に誕生、半径465億光年の大きさ。
世俗に入れない翔子の魂は天空と溶け合っている。父を早急に亡くした翔子はどうしても彼を忘れられずに、ひときわ大きく光る星に手を振り、泣く。星は宇宙の物理的な法則で出来るのではなく、どうしても忘れられない地上の人たちの想いで出来のでしょう。天空にはその忘れられない魂の数だけ星があるのです。
HTMLText_738C2D55_0E3A_5DC7_419F_BA29D22C3487.html = 断捨離 - だんしゃり
Dan-Sha-Ri, 2019
ヨガの行法 - 断行、捨行、離行からの造語。不要なものを断ち、捨てて執着から離れること。
「目標を立て、ギリギリと努力で成し得た事は、ストレスも多く、人も傷つけるから大成功とは言わない」と聖なるヨガ行者によって語られている大流に身をまかせ、ゆったりと成し得た事を大成功という。翔子は努力ではなく只々、人々に喜んでもらいたくて仕事を終えてきた。書家として、とびっきり素晴らしい仕事を数限りなくやすやすとこなしている。翔子はすでに断捨離も超えて至福の地平にいる。
HTMLText_738C2D55_0E3A_5DC7_419F_BA29D22C3487_mobile.html = 断捨離 - だんしゃり
Dan-Sha-Ri, 2019
ヨガの行法 - 断行、捨行、離行からの造語。不要なものを断ち、捨てて執着から離れること。
「目標を立て、ギリギリと努力で成し得た事は、ストレスも多く、人も傷つけるから大成功とは言わない」と聖なるヨガ行者によって語られている大流に身をまかせ、ゆったりと成し得た事を大成功という。翔子は努力ではなく只々、人々に喜んでもらいたくて仕事を終えてきた。書家として、とびっきり素晴らしい仕事を数限りなくやすやすとこなしている。翔子はすでに断捨離も超えて至福の地平にいる。
HTMLText_73BE1A3E_0E3A_4745_41AD_5E9F261658B0.html = 無限 - むげん
Mugen, 2019
∞ 量や程度に限度がないこと。またその状態をいう。
翔子はコロナを『コロ太郎』と呼ぶ。天に向かい「コロ太郎、お空の遠くに逃げてね。冥王星に行けば大丈夫だよ」と呼びかけている。なぜ冥王星なのか意味不明。コロナが冥王星まで紺碧の天空を駆け抜けるなんてシュールだ。翔子はコロナをも悪者にはできない。終息とか消滅させるとなんて可哀想でできない。遥か遠くに逃げるのよと、見えないコロナに友達のように話し掛けている。
HTMLText_73BE1A3E_0E3A_4745_41AD_5E9F261658B0_mobile.html = 無限 - むげん
Mugen, 2019
∞ 量や程度に限度がないこと。またその状態をいう。
翔子はコロナを『コロ太郎』と呼ぶ。天に向かい「コロ太郎、お空の遠くに逃げてね。冥王星に行けば大丈夫だよ」と呼びかけている。なぜ冥王星なのか意味不明。コロナが冥王星まで紺碧の天空を駆け抜けるなんてシュールだ。翔子はコロナをも悪者にはできない。終息とか消滅させるとなんて可哀想でできない。遥か遠くに逃げるのよと、見えないコロナに友達のように話し掛けている。
HTMLText_7434C745_0E39_CDC7_41A2_51824FB2278E.html = 一期一会 - いちごいちえ
Ichigo ichie, 2019
一生に一度限りの出会い。どの出会いもその人生で一度きりなのだから、大切にしなければいけない。翔子の思い巡らす未来は明日のお昼ご飯まで。将来を思い悩んだり、過去を振り返り悔やむこともない。今を100パーセントの思いで生きている。翔子の時間は、まさに一期一会なのだ。
HTMLText_7434C745_0E39_CDC7_41A2_51824FB2278E_mobile.html = 一期一会 - いちごいちえ
Ichigo ichie, 2019
一生に一度限りの出会い。どの出会いもその人生で一度きりなのだから、大切にしなければいけない。翔子の思い巡らす未来は明日のお昼ご飯まで。将来を思い悩んだり、過去を振り返り悔やむこともない。今を100パーセントの思いで生きている。翔子の時間は、まさに一期一会なのだ。
HTMLText_74F30E68_0E3A_3FCD_4195_012907CE762C.html = 空から - そらから
Sora kara, 2019
地球から見れば、地球以外の全宇宙が空である。この空から降り注ぐものは莫大である。
翔子は天国の父親に「会いに来てね」といつも祈っている。父親の遺影の前に「私がいなかったら電話ください」と携帯番号が書いてある。このメモに私は涙止まらなかった。
HTMLText_74F30E68_0E3A_3FCD_4195_012907CE762C_mobile.html = 空から - そらから
Sora kara, 2019
地球から見れば、地球以外の全宇宙が空である。この空から降り注ぐものは莫大である。
翔子は天国の父親に「会いに来てね」といつも祈っている。父親の遺影の前に「私がいなかったら電話ください」と携帯番号が書いてある。このメモに私は涙止まらなかった。
HTMLText_7519FE4E_0E16_FFC5_41A3_A7E1288EE1ED.html = 金澤翔子
1985年生まれ、東京都出身。母・泰子は子どもや若者に書道を教えており、翔子も5歳から母の師事で書を始める。
翔子は早くから書道への才能を表した。自然体で筆を扱い、動きや様式を理解し、調和のとれた作風をみせる。彼女の作品は時間とともに認知されはじめる。繊細な筆運び、作品の構成と文字の配置、墨を扱う技術などが評価され、日本の現代書道における自らの地位を確立した。
奉納揮毫にはじまり、平和や前向きなメッセージを伝えるという軸は未だ変わらない。2005年に二十歳で開催した初の個展では、その存在を日本国内に広く知らしめることに成功し、海外へ羽ばたくきっかけともなった。その後はアメリカ、チェコ、ロシア、シンガポールなどで個展を成功させた。
書家として身を立てた金澤は、その表現を通じ、障害者支援や被災地の復興活動を始め多くの社会的プロジェクトに携わっている。ダウン症を持つ金澤の自立性や並外れた作風は、多くの人々にインスピレーションを与えている。2015年にはニューヨークの国際連盟本部でスピーチをし、2017年には文部科学省スペシャルサポート大使に就任した。
HTMLText_7519FE4E_0E16_FFC5_41A3_A7E1288EE1ED_mobile.html = 金澤翔子
1985年生まれ、東京都出身。母・泰子は子どもや若者に書道を教えており、翔子も5歳から母の師事で書を始める。
翔子は早くから書道への才能を表した。自然体で筆を扱い、動きや様式を理解し、調和のとれた作風をみせる。彼女の作品は時間とともに認知されはじめる。繊細な筆運び、作品の構成と文字の配置、墨を扱う技術などが評価され、日本の現代書道における自らの地位を確立した。
奉納揮毫にはじまり、平和や前向きなメッセージを伝えるという軸は未だ変わらない。2005年に二十歳で開催した初の個展では、その存在を日本国内に広く知らしめることに成功し、海外へ羽ばたくきっかけともなった。その後はアメリカ、チェコ、ロシア、シンガポールなどで個展を成功させた。
書家として身を立てた金澤は、その表現を通じ、障害者支援や被災地の復興活動を始め多くの社会的プロジェクトに携わっている。ダウン症を持つ金澤の自立性や並外れた作風は、多くの人々にインスピレーションを与えている。2015年にはニューヨークの国際連盟本部でスピーチをし、2017年には文部科学省スペシャルサポート大使に就任した。
HTMLText_8D6ADA46_0E36_47C5_41A5_8DEF38F857FE.html = 雨洗風磨 - うせんふうま
Usenfūma, 2019
雨に洗われて、風に磨かれる。永い時間、雨や風にさらされて、心が洗い清められる。人生の辛酸を味わい人は成長する。雨にも負けず風にも負けず翔子は弱者を救いたくて日々街をひた走っている。翔子は、こんなふうに翔子の方法で雨風に磨かれて成長するのでしょう。
HTMLText_8D6ADA46_0E36_47C5_41A5_8DEF38F857FE_mobile.html = 雨洗風磨 - うせんふうま
Usenfūma, 2019
雨に洗われて、風に磨かれる。永い時間、雨や風にさらされて、心が洗い清められる。人生の辛酸を味わい人は成長する。雨にも負けず風にも負けず翔子は弱者を救いたくて日々街をひた走っている。翔子は、こんなふうに翔子の方法で雨風に磨かれて成長するのでしょう。
HTMLText_8E593DEA_0E3E_5CCD_41A2_0BCC1658AD7E.html = 光 - ひかり
Hikari, 2020
世界は無数の光に満ちている。この光からエネルギーをえて、生き生きと輝こう。
仕事に行くあてもなく友達もいない一人暮らしの24時間をどの様に自分を律しているのだろうか。「翔子はちっとも淋しくない」という。淋しくないだろうか、不安ではないかと私は思い煩ってしまう。しかし孤独だの不安だろうという想いは、世俗の私が作り出す幻想なのでしょう。翔子は魂は皆んな繋がっているという真理を知っているから1人ぼっちではないのです。大いなるものに抱かれ、ありありとした光明の中で幸せに安寧に暮らしている。
HTMLText_8E593DEA_0E3E_5CCD_41A2_0BCC1658AD7E_mobile.html = 光 - ひかり
Hikari, 2020
世界は無数の光に満ちている。この光からエネルギーをえて、生き生きと輝こう。
仕事に行くあてもなく友達もいない一人暮らしの24時間をどの様に自分を律しているのだろうか。「翔子はちっとも淋しくない」という。淋しくないだろうか、不安ではないかと私は思い煩ってしまう。しかし孤独だの不安だろうという想いは、世俗の私が作り出す幻想なのでしょう。翔子は魂は皆んな繋がっているという真理を知っているから1人ぼっちではないのです。大いなるものに抱かれ、ありありとした光明の中で幸せに安寧に暮らしている。
HTMLText_8E9F297B_0E0A_45C3_4155_FAE0BBB52C20.html = 言霊 - ことだま
Kotodama, 2015
言葉に宿る摩訶不思議な力。発した言葉どうりの力を発する。翔子は肌が綺麗と言われる。お化粧の手入れの時「ありがとう、愛しているよ」と繰り返し呪文のように肌に話しかける。もしかして翔子は量子力学を知っているのかもしれない。細胞の末端の素粒子の振動の先には「気」が存在する説がある。翔子は肌の細胞の最先端に「愛の気」を送っているのだ!だから肌が綺麗なのだろう。
HTMLText_8E9F297B_0E0A_45C3_4155_FAE0BBB52C20_mobile.html = 言霊 - ことだま
Kotodama, 2015
言葉に宿る摩訶不思議な力。発した言葉どうりの力を発する。翔子は肌が綺麗と言われる。お化粧の手入れの時「ありがとう、愛しているよ」と繰り返し呪文のように肌に話しかける。もしかして翔子は量子力学を知っているのかもしれない。細胞の末端の素粒子の振動の先には「気」が存在する説がある。翔子は肌の細胞の最先端に「愛の気」を送っているのだ!だから肌が綺麗なのだろう。
HTMLText_93AE6566_0E0E_4D1D_4197_5373940832FD.html = 《書は芸術か》
柳田 泰山
孤高
書道は芸術か、ただ単に文字を習うのか。当然、私達は芸術と思っている。日本の言わば「道」がつくものにはそれぞれに厳しいものがある。「華道」「茶道」「柔道」「剣道」「香道」などであるが、それらは厳しいものがあるからこそ芸術にまで昇華する。
又、何かを表現することにより、人に感動を与えられるものも芸術となる場合がある。芸術とはそのようなものである。
では改めて「書道」はどうであろうか…。ただ単に字がうまく書ければそれで良いのか。見栄えのする字が書ければ良いのか。そこには疑問がでてくる方もいるであろう。勿論、私はそれだけでは満足できない。そこには奥深いものがあり、書作するのみならず、それを通じて、自己を見つめ精神性を高めていく修行がある。妥協も許されない。それが「書道」であり、それが正に芸術となり得る。
なぜ、多くの人が「書道」をやろうと思うのか。初めは字がうまく書けることを目指しているかもしれないが、学んでいく過程で「書道」の魅力のとりこになっていく。気がついたら深みにはまってしまっている。それが「書道芸術」かもしれない。芸術は孤独でなければならない。徒党を組んでは出来ない。自己との戦いでもあり純粋な気持ちを堅持しなければいけない。
次元が高くなればなるほど「孤高」になってくる。俗界と交わらず、譲らず、驕りもなく、真の芸術たる「書」を表わさなければいけない。私自身も、誰にも迎合せず、我が「書」を目指している。理想は生き方にも、関連したくる。それこそ人間そのものが芸術である。その道の優れた人間には光り輝いているものがある。やはり「孤高」であるが故に…。
個性
「決まった形があればこそ、そこに個性の相違が表われる」という論がある。正しく「書」はそれである。個性とは一体何であろう。ただ単に人と違ったものを書けば「個性」と言えるのだろうか。それは全く違う。敢えて言うならば何百回・何千回と形・法則を学び、書くことにより不要なものが削ぎ落とされ、余分な形が廃されてはじめて個性が生まれるのではないか。やはり形・法則が必要である。
ある時、私自身も迷っていたが、この教えから前へ一歩進んだような気がした。寧ろ自身のこれまでの考え自体、的を射ていたと感じもした。私にとっての個性とは、楷書の追求である。追求の純度が高ければ高いほど個性も生まれてくる。丁度、母親から生まれてくる子供と同じである。子供は時間の経過と共に個性が表われてくる。但し、そのプロセス如何によっては、次元の違う個性となり、運命も変わってくる。これは自身の責任問題でもある。書も同じである。自身が持っている肉体・心の責任によって書が変わってくる。であれば母体となる形・法則が絶対に必要である。そして楷書の優れた形・法則を真似ることにより、その精神も学びとることが出来る。
書は何千年もかけて完成された芸術である。それが個人の浅はかな智恵など寄せつけるはずもない。それほど「書道芸術」は甘くはない。寧ろ非情なものであり、自身を愚かな者と悟る時もある。ただ、その悟りから本当の個性が生まれる。生む苦しみによりその悟りの境地にまた一歩近付けられる事にもなる。
正統とは
私が主張している「書」というのは中国唐代を中心とした「書」であり、それを六十年以上も学び続けている。唐代を中心にというのは先代からの教えである。ただ、世間ではそれを「親の物真似」と評したりする輩がいる。伝統は、先達者の築き上げた者を真摯に守り抜く事を第一と考える。
諺に「守破離」と言う言葉があるが、これは結果論からの事で、そこを意識して制作するのはおかしいものである。
「書」の正統とは一体どういうことを言うのであろうか。私なりの見解を述べれば、古典から得たものを、精神性を加味して表現した「書」と言うことである。これは楷書に限らず総ての書体に言える。そこに精神性がなければ正統とは言えない。感性だけの「書」は決して芸術ではなく、正統でもない。私の道はこの厳しい正統なる「書」の道を求めている。
「書」を見て何を感じ、何を得るかは個々の感性である。その感性が高ければ高い程、次元の高いものが得られる。私自身もその様な努力をして「書」に携わってきている。ただ、果たして「正統なる書」とは如何なるものか、暗中模索している自分をいまでも屢々垣間見る事がある。
この度の翔子さんの書展は
私は、感触というものを大切にしている。歩いている時、建造物などのデザインや、人々のファッションや動作など、あらゆるものに興味を示し、世の中の美意識の変化も察知する努力をしている。些細なこと…例えば電信柱や看板の字が曲がっているのが気になったり、ともかく一瞬で何かを察知する、その感触を大切にしている。
そこに翔子さんが現れた。この翔子さんの感性は別物であった。今までの概念が覆された気がした。翔子さんの感性、感覚は通常の概念では推し量れないものがある。凡人には解らない。 そのあどけない女の子との出会いは、十数年前。縁があって母親・泰子さんの紹介で教える立場となった。感性は持って生まれたものと環境に左右されるものがあるが、初めて見た時、金澤親子の「書」に対する必死さは、驚嘆以外の何ものでもなかった。
五歳から筆を持たせたと聞き及んでいる。何も教える必要は無い。このままで感性を大切にしてもらいたい等々…。
「書」には、その感触と感性が重要となる。俗に言う、上手い下手はどこからくるのだろうか。それは客観的に言えば、感触の違い、感性の違い、更に突き詰めれば、好き嫌いになってくる。そこが「書」の難しい所です。よって書き手は、日頃の感触、感性を学んでいかなければいけません。その二つの修練が重なって初めて芸術となる。修練無しでは、感触の力、感性を磨くことは出来ません。その二つの絶妙な均衡により、人に感動を与えることが出来る。この持論と金澤親子の「書」の組み合わせは如何にするか。
翔子さんの「書」には技量もさる事ながら感動がある。
感動とは一体何か。上手い下手だけでは判断できない。人を動かす力がその作品にあるならば、それは感触、感性の鍛錬が身に付き、そこに魂がこもってくれば、感動となる筈。では純粋なる魂で「書」が書ければいいのか。いやそれも違う、やはり練習量である。この親子にはまるで治外法権の領域がある。そこに少々、伝統の「書」を注ぎ込んだだけである。
HTMLText_93AE6566_0E0E_4D1D_4197_5373940832FD_mobile.html = 《書は芸術か》
柳田 泰山
孤高
書道は芸術か、ただ単に文字を習うのか。当然、私達は芸術と思っている。日本の言わば「道」がつくものにはそれぞれに厳しいものがある。「華道」「茶道」「柔道」「剣道」「香道」などであるが、それらは厳しいものがあるからこそ芸術にまで昇華する。
又、何かを表現することにより、人に感動を与えられるものも芸術となる場合がある。芸術とはそのようなものである。
では改めて「書道」はどうであろうか…。ただ単に字がうまく書ければそれで良いのか。見栄えのする字が書ければ良いのか。そこには疑問がでてくる方もいるであろう。勿論、私はそれだけでは満足できない。そこには奥深いものがあり、書作するのみならず、それを通じて、自己を見つめ精神性を高めていく修行がある。妥協も許されない。それが「書道」であり、それが正に芸術となり得る。
なぜ、多くの人が「書道」をやろうと思うのか。初めは字がうまく書けることを目指しているかもしれないが、学んでいく過程で「書道」の魅力のとりこになっていく。気がついたら深みにはまってしまっている。それが「書道芸術」かもしれない。芸術は孤独でなければならない。徒党を組んでは出来ない。自己との戦いでもあり純粋な気持ちを堅持しなければいけない。
次元が高くなればなるほど「孤高」になってくる。俗界と交わらず、譲らず、驕りもなく、真の芸術たる「書」を表わさなければいけない。私自身も、誰にも迎合せず、我が「書」を目指している。理想は生き方にも、関連したくる。それこそ人間そのものが芸術である。その道の優れた人間には光り輝いているものがある。やはり「孤高」であるが故に…。
個性
「決まった形があればこそ、そこに個性の相違が表われる」という論がある。正しく「書」はそれである。個性とは一体何であろう。ただ単に人と違ったものを書けば「個性」と言えるのだろうか。それは全く違う。敢えて言うならば何百回・何千回と形・法則を学び、書くことにより不要なものが削ぎ落とされ、余分な形が廃されてはじめて個性が生まれるのではないか。やはり形・法則が必要である。
ある時、私自身も迷っていたが、この教えから前へ一歩進んだような気がした。寧ろ自身のこれまでの考え自体、的を射ていたと感じもした。私にとっての個性とは、楷書の追求である。追求の純度が高ければ高いほど個性も生まれてくる。丁度、母親から生まれてくる子供と同じである。子供は時間の経過と共に個性が表われてくる。但し、そのプロセス如何によっては、次元の違う個性となり、運命も変わってくる。これは自身の責任問題でもある。書も同じである。自身が持っている肉体・心の責任によって書が変わってくる。であれば母体となる形・法則が絶対に必要である。そして楷書の優れた形・法則を真似ることにより、その精神も学びとることが出来る。
書は何千年もかけて完成された芸術である。それが個人の浅はかな智恵など寄せつけるはずもない。それほど「書道芸術」は甘くはない。寧ろ非情なものであり、自身を愚かな者と悟る時もある。ただ、その悟りから本当の個性が生まれる。生む苦しみによりその悟りの境地にまた一歩近付けられる事にもなる。
正統とは
私が主張している「書」というのは中国唐代を中心とした「書」であり、それを六十年以上も学び続けている。唐代を中心にというのは先代からの教えである。ただ、世間ではそれを「親の物真似」と評したりする輩がいる。伝統は、先達者の築き上げた者を真摯に守り抜く事を第一と考える。
諺に「守破離」と言う言葉があるが、これは結果論からの事で、そこを意識して制作するのはおかしいものである。
「書」の正統とは一体どういうことを言うのであろうか。私なりの見解を述べれば、古典から得たものを、精神性を加味して表現した「書」と言うことである。これは楷書に限らず総ての書体に言える。そこに精神性がなければ正統とは言えない。感性だけの「書」は決して芸術ではなく、正統でもない。私の道はこの厳しい正統なる「書」の道を求めている。
「書」を見て何を感じ、何を得るかは個々の感性である。その感性が高ければ高い程、次元の高いものが得られる。私自身もその様な努力をして「書」に携わってきている。ただ、果たして「正統なる書」とは如何なるものか、暗中模索している自分をいまでも屢々垣間見る事がある。
この度の翔子さんの書展は
私は、感触というものを大切にしている。歩いている時、建造物などのデザインや、人々のファッションや動作など、あらゆるものに興味を示し、世の中の美意識の変化も察知する努力をしている。些細なこと…例えば電信柱や看板の字が曲がっているのが気になったり、ともかく一瞬で何かを察知する、その感触を大切にしている。
そこに翔子さんが現れた。この翔子さんの感性は別物であった。今までの概念が覆された気がした。翔子さんの感性、感覚は通常の概念では推し量れないものがある。凡人には解らない。 そのあどけない女の子との出会いは、十数年前。縁があって母親・泰子さんの紹介で教える立場となった。感性は持って生まれたものと環境に左右されるものがあるが、初めて見た時、金澤親子の「書」に対する必死さは、驚嘆以外の何ものでもなかった。
五歳から筆を持たせたと聞き及んでいる。何も教える必要は無い。このままで感性を大切にしてもらいたい等々…。
「書」には、その感触と感性が重要となる。俗に言う、上手い下手はどこからくるのだろうか。それは客観的に言えば、感触の違い、感性の違い、更に突き詰めれば、好き嫌いになってくる。そこが「書」の難しい所です。よって書き手は、日頃の感触、感性を学んでいかなければいけません。その二つの修練が重なって初めて芸術となる。修練無しでは、感触の力、感性を磨くことは出来ません。その二つの絶妙な均衡により、人に感動を与えることが出来る。この持論と金澤親子の「書」の組み合わせは如何にするか。
翔子さんの「書」には技量もさる事ながら感動がある。
感動とは一体何か。上手い下手だけでは判断できない。人を動かす力がその作品にあるならば、それは感触、感性の鍛錬が身に付き、そこに魂がこもってくれば、感動となる筈。では純粋なる魂で「書」が書ければいいのか。いやそれも違う、やはり練習量である。この親子にはまるで治外法権の領域がある。そこに少々、伝統の「書」を注ぎ込んだだけである。
HTMLText_992CFC90_A4CF_FC8E_41D7_97D05C42E414.html = 漢字五書体について
現在、漢字の書法では、篆書・隷書・草書・行書・楷書の五体が完成している。
次にそれぞれの書体の特徴を述べる。
篆書
漢字史上最も古く、古文(殷周時代の文字)を基に完成され、秦始皇帝によって統一された書体。縦長結構・横画水平を原則として、中心を境に左右対称の形で構成されており、転折(横画・縦画の接続)に丸味を持たせる。起筆に(起筆に筆の穂先を表さずに書くこと)を用いている。幾何学的に完全に整頓された味わい深い書体であり、「見せる書体」でもある。
隷書
篆書が「見せる書体」であることの反動で、速書き、実用を目的に作られた書体。水平横画・蔵鋒を原則としている点で篆書と同じだが、扁平結構(扁平で釣合いの取れた字形)を取り入れて書写し易くしている。最も初期の隷書を「古隷」といい、秦後期に徒隷(位の低い役人)の書として認められてからは「秦隷」ともいわれた。その後、古隷の横画に意匠的に曲線を用い、横画の終筆にと呼ばれた波形をもつ「八分」と称する隷書へと発展した。八分は個性豊かな隷書を生み、後漢の時代に完成の域に達し、正書とされた。これは「漢隷」として、現代に遺されている。
草書
古隷を速書きする目的で、簡潔な省略体である文字「章草」が生まれた。章草はさらに運筆の面で洗練され、速写と芸術的品格のあるものへと変遷し、「草書」として完全に一体を成した。草書体は一文字の簡略化だけでなく、文字と文字の連続による文章の速書き、すなわち「連綿体」の書法を生み、運筆の流れの美しさを鑑賞する書体として成長した。また、草書は日本に渡来して「かな」となり、貴族文化を象徴する書道芸術を育てた。
行書
速書きの目的で楷書の画と画を連続させ、点画を省略して生み出された書体。速書きの結果、点画の曲線化を生み、連続、省略に一定の約束された型を創り出した。これが行書特有の優美な字体となり、一書体として独立した。
楷書
漢隷八分書から変化した書体で、蔵鋒の規制を廃して起筆を露出させ、文字を書く自然な体の動きに合わせて、右上がりの横画とした。また、間架結構に生じる空間の美的構成を、決定的なものにした書体。いわく、格式の高い書の本義が、「楷」であるとされる。書道史上、最も長い変遷の時を経て完成された書体であり、芸術的に最も奥深い書体である。
HTMLText_992CFC90_A4CF_FC8E_41D7_97D05C42E414_mobile.html = 漢字五書体について
現在、漢字の書法では、篆書・隷書・草書・行書・楷書の五体が完成している。
次にそれぞれの書体の特徴を述べる。
篆書
漢字史上最も古く、古文(殷周時代の文字)を基に完成され、秦始皇帝によって統一された書体。縦長結構・横画水平を原則として、中心を境に左右対称の形で構成されており、転折(横画・縦画の接続)に丸味を持たせる。起筆に(起筆に筆の穂先を表さずに書くこと)を用いている。幾何学的に完全に整頓された味わい深い書体であり、「見せる書体」でもある。
隷書
篆書が「見せる書体」であることの反動で、速書き、実用を目的に作られた書体。水平横画・蔵鋒を原則としている点で篆書と同じだが、扁平結構(扁平で釣合いの取れた字形)を取り入れて書写し易くしている。最も初期の隷書を「古隷」といい、秦後期に徒隷(位の低い役人)の書として認められてからは「秦隷」ともいわれた。その後、古隷の横画に意匠的に曲線を用い、横画の終筆にと呼ばれた波形をもつ「八分」と称する隷書へと発展した。八分は個性豊かな隷書を生み、後漢の時代に完成の域に達し、正書とされた。これは「漢隷」として、現代に遺されている。
草書
古隷を速書きする目的で、簡潔な省略体である文字「章草」が生まれた。章草はさらに運筆の面で洗練され、速写と芸術的品格のあるものへと変遷し、「草書」として完全に一体を成した。草書体は一文字の簡略化だけでなく、文字と文字の連続による文章の速書き、すなわち「連綿体」の書法を生み、運筆の流れの美しさを鑑賞する書体として成長した。また、草書は日本に渡来して「かな」となり、貴族文化を象徴する書道芸術を育てた。
行書
速書きの目的で楷書の画と画を連続させ、点画を省略して生み出された書体。速書きの結果、点画の曲線化を生み、連続、省略に一定の約束された型を創り出した。これが行書特有の優美な字体となり、一書体として独立した。
楷書
漢隷八分書から変化した書体で、蔵鋒の規制を廃して起筆を露出させ、文字を書く自然な体の動きに合わせて、右上がりの横画とした。また、間架結構に生じる空間の美的構成を、決定的なものにした書体。いわく、格式の高い書の本義が、「楷」であるとされる。書道史上、最も長い変遷の時を経て完成された書体であり、芸術的に最も奥深い書体である。
HTMLText_BE4CF95B_A8E4_5D1A_41A2_1345F01828AC.html = 紙について
書道用の紙は、墨の水分に耐えられるように、植物の長めの繊維を使って作られます。
材料になる植物を何度も煮て、柔らかくなったものを更に叩いて繊維をほぐし、最後はトロロアオイなどが原料の糊を混ぜてドロドロにします。これを水槽に入れて均等に薄め、専用のスダレで溶け込んでいる繊維を薄く絡ませながらすくい上げます。この作業を「漉き(すき)」といいます。こうして漉きあがったものを乾燥させ、適当な大きさに裁断したものが書道用紙となります。水墨画で使われるものなども全く同じ工程で作られます。西洋発祥の紙と比べ、大変丈夫で長持ちする性質があります。
この紙は、原材料の種類や配分などでそれぞれの特徴が出て、書画用とか工芸用などと使い分けられています。また厚さによっても性質に違いが出てくるので、書道用の紙といっても大変種類が多くなっています。
その中で、日本産のものを「和紙(わし)」と呼びます。書道用のものでは、山梨県の「甲州(こうしゅう)和紙」、山陰地方の「石州(せきしゅう)和紙」「因州(いんしゅう)和紙」、愛媛県の「四国和紙(伊予和紙)」が有名です。楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)といった草木が原料として使われます。漢字用、かな用によって適した紙質があり、また最終的ににじまないように加工したり、模様を漉き込んだりしたものもあります。
和紙の中には、その丈夫さを利用して、紙幣用、賞状用など特別な用途に漉かれたものもあります。また障子や高級包み紙、その他工芸用に作られるものもあります。
中国の書画用の紙は、安徽省の「宣紙(せんし)」が特に品質が良く有名です。材料は秘密とされていますが、青檀(せいたん)の樹皮と稲わらが使われているようです。その配合や厚さで「単宣」「綿連」「玉版」「夾宣」などと分類されています。
書家の作風やその時の表現意図によって、一番合っている紙が選択されます。
企画担当局長・キュレーター
ナターシャ・バルザーギ・ジーネン
HTMLText_BE4CF95B_A8E4_5D1A_41A2_1345F01828AC_mobile.html = 紙について
書道用の紙は、墨の水分に耐えられるように、植物の長めの繊維を使って作られます。
材料になる植物を何度も煮て、柔らかくなったものを更に叩いて繊維をほぐし、最後はトロロアオイなどが原料の糊を混ぜてドロドロにします。これを水槽に入れて均等に薄め、専用のスダレで溶け込んでいる繊維を薄く絡ませながらすくい上げます。この作業を「漉き(すき)」といいます。こうして漉きあがったものを乾燥させ、適当な大きさに裁断したものが書道用紙となります。水墨画で使われるものなども全く同じ工程で作られます。西洋発祥の紙と比べ、大変丈夫で長持ちする性質があります。
この紙は、原材料の種類や配分などでそれぞれの特徴が出て、書画用とか工芸用などと使い分けられています。また厚さによっても性質に違いが出てくるので、書道用の紙といっても大変種類が多くなっています。
その中で、日本産のものを「和紙(わし)」と呼びます。書道用のものでは、山梨県の「甲州(こうしゅう)和紙」、山陰地方の「石州(せきしゅう)和紙」「因州(いんしゅう)和紙」、愛媛県の「四国和紙(伊予和紙)」が有名です。楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)といった草木が原料として使われます。漢字用、かな用によって適した紙質があり、また最終的ににじまないように加工したり、模様を漉き込んだりしたものもあります。
和紙の中には、その丈夫さを利用して、紙幣用、賞状用など特別な用途に漉かれたものもあります。また障子や高級包み紙、その他工芸用に作られるものもあります。
中国の書画用の紙は、安徽省の「宣紙(せんし)」が特に品質が良く有名です。材料は秘密とされていますが、青檀(せいたん)の樹皮と稲わらが使われているようです。その配合や厚さで「単宣」「綿連」「玉版」「夾宣」などと分類されています。
書家の作風やその時の表現意図によって、一番合っている紙が選択されます。
企画担当局長・キュレーター
ナターシャ・バルザーギ・ジーネン
HTMLText_BFABF9B4_A8EC_3D2F_41CB_A7CE7A692295.html = 展示クレジット
キュレーター
Natasha Barzaghi Geenen
キュレーターアシスタント
Carolina De Angelis
プロデューサー
Daniela Avelar | Pinã Cultura
プロデューサーアシスタント
Adriana Rodrigues
展示設計
Estúdio Gru | Jeanine Menezes
展示設計アシスタント
Lia Untem
照明デザイナー
Fernanda Carvalho
照明デザインチーム
Luana Alves e Emilia Ramos
展示空間デザイン
Elástica SP Cenografia
展示空間デザイン設営
Hugo Lefort
作品保存
Lívia Lira e Marília Fernandes
設営コーディネート
Rafael Filipi
作品設営
Projeta
照明の会場設営
Santa Luz
ビジュアルコミュニケーション
Zol Design
印刷
Watervision
輸送
Waiver Logistics
展示紹介動画
Fuerza Films
展示写真
Marina Melchers
翻訳及び校正
Cláudio Cruz, Lica Hashimoto, John Norman, Komorebi Translations, Pablo Yuda
アクセシビリティコンサルタント
Arteinclusão
アクセシビリティ対応カウンター
Arthur Souza | ArtSim, Efeito Visual, Iguale, Tissa Kimoto | Pandoala Estudio, Ver com Palavras
HTMLText_BFABF9B4_A8EC_3D2F_41CB_A7CE7A692295_mobile.html = 展示クレジット
キュレーター
Natasha Barzaghi Geenen
キュレーターアシスタント
Carolina De Angelis
プロデューサー
Daniela Avelar | Pinã Cultura
プロデューサーアシスタント
Adriana Rodrigues
展示設計
Estúdio Gru | Jeanine Menezes
展示設計アシスタント
Lia Untem
照明デザイナー
Fernanda Carvalho
照明デザインチーム
Luana Alves e Emilia Ramos
展示空間デザイン
Elástica SP Cenografia
展示空間デザイン設営
Hugo Lefort
作品保存
Lívia Lira e Marília Fernandes
設営コーディネート
Rafael Filipi
作品設営
Projeta
照明の会場設営
Santa Luz
ビジュアルコミュニケーション
Zol Design
印刷
Watervision
輸送
Waiver Logistics
展示紹介動画
Fuerza Films
展示写真
Marina Melchers
翻訳及び校正
Cláudio Cruz, Lica Hashimoto, John Norman, Komorebi Translations, Pablo Yuda
アクセシビリティコンサルタント
Arteinclusão
アクセシビリティ対応カウンター
Arthur Souza | ArtSim, Efeito Visual, Iguale, Tissa Kimoto | Pandoala Estudio, Ver com Palavras
HTMLText_E19F93FE_C212_A37E_41E5_EC1FF0FB6AC8.html = JHSPアクセシブル
こちらのカウンターでは、開催中の展示に関連するデジタル、触覚や感覚のリソースに触れることができる。カウンターにあるQRコードからブラジル手話、オーディオディスクリプションとテキストのコンテンツがアクセスできる。
この企画では、ジャパンハウスサンパウロで紹介する日本文化の様々なテーマを他の認識や解釈を通じて、すべての観客を楽しませることを推進する。
本館のアクセシビリティ企画であるJHSPアクセシブルは、こちらで紹介する日本の世界に特別な没入体験を平等な機会を皆様に提供することを目的としている。
HTMLText_E19F93FE_C212_A37E_41E5_EC1FF0FB6AC8_mobile.html = JHSPアクセシブル
こちらのカウンターでは、開催中の展示に関連するデジタル、触覚や感覚のリソースに触れることができる。カウンターにあるQRコードからブラジル手話、オーディオディスクリプションとテキストのコンテンツがアクセスできる。
この企画では、ジャパンハウスサンパウロで紹介する日本文化の様々なテーマを他の認識や解釈を通じて、すべての観客を楽しませることを推進する。
本館のアクセシビリティ企画であるJHSPアクセシブルは、こちらで紹介する日本の世界に特別な没入体験を平等な機会を皆様に提供することを目的としている。
### Tooltip
Button_485BFF41_598E_3DB2_41A9_33F36E014467.toolTip = Gyroscope
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Button_4C5C0864_5A8E_C472_41C4_7C0748488A41.toolTip = オーディオ
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Button_4D1C404A_5A87_C3B6_41BC_63B811C40CD0.toolTip = VRメガネ
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Button_4DE935B8_5A86_4CD2_41A9_D487E3DF3FBA.toolTip = 入/切
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IconButton_7A7C24B5_0E09_C347_419C_C33E54479651.toolTip = 日本語
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IconButton_7A7DFE2A_0E0E_5F4D_419D_55736A3931C9.toolTip = English
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IconButton_7B212C50_3AA0_A1AF_41C5_F659ED22BD52.toolTip = 情報
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IconButton_7B21CC51_3AA0_A251_41C9_1ABF5F74EDA0.toolTip = 位置
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IconButton_7B21DC51_3AA0_A251_41B1_CEAABC2475F8.toolTip = パノラマ写真一覧
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IconButton_7BC3379C_0E0E_4D45_419A_288865410781.toolTip = Português
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## Media
### Title
panorama_52742136_0E0E_4558_41AA_8FF96880120A.label = 宇宙, 2019
panorama_52742C7C_0E0E_C3C8_41A0_BCF55F5C9D62.label = 無限, 2019
panorama_527452B7_0E0E_C758_419C_584F50AA6AB8.label = 3. キュレーターよりご挨拶
panorama_52746029_0E0F_C348_4184_FC329C1F30DB.label = 神, 2019
panorama_52746F8A_0E0E_3D49_41A4_9C2A62923F0F.label = 4. バイオグラフィ
panorama_5274711E_0E0F_C548_417C_B7D00545867B.label = 断捨離, 2019
panorama_5274713D_0E0F_C548_41AA_AD35EF3D2826.label = 空から, 2019
panorama_52747F0D_0E0E_5D48_41AA_02F3BCB52AB5.label = 一期一会, 2019
panorama_52748124_0E0F_C579_4185_B515F53333ED.label = 感謝, 2019
panorama_5274ADA0_0E0E_3D78_41A3_1C5EAAED9193.label = 8. 書体について
panorama_5274CF01_0E0E_7D38_41A9_9A6398684160.label = 7. ショーケース内容詳細
panorama_5274DE87_0E0E_5F47_4153_A236E060AB62.label = 言霊, 2015
panorama_5275B1B2_0E0E_4558_419A_01486D22A3A4.label = 光, 2020
panorama_5275E2A3_0E0E_4778_41A1_BB915FB58844.label = 5. 展示クレジット
panorama_527A439A_0E0E_C548_4194_0ADF9AB5E6F8.label = 2. 展示入口
panorama_527BDD81_0E0E_DD3B_41A1_825CF8EA6FA1.label = 夢幻空華, 2019
panorama_6D0CB42E_0E0E_C349_41A1_FE28D23BA78B.label = 1. JHSP玄関
panorama_A46075B9_ED6B_5F73_41ED_41F4B5F78CFE.label = 6. 書道について
panorama_A8E7FF3F_ED5A_EB6F_41DE_89BC54E730B8.label = 雨洗風磨, 2019
## Action
### PDF
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PopupPDFBehaviour_C8E1C0A1_F3EF_069A_41B5_797514A8CC01.url = files/FolderShokoKanazawa_textosPT_ja.pdf
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### URL
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